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NGO相談員

【お知らせ】「人」明日へのストーリー『ガーナに銅像を建てた2人目の日本人』[愛媛県]

2024.03.19

2021年度 2次隊
ガーナ共和国/小学校教育
越智 研一(愛媛)

【JICA海外協力隊員になるまで】
大学時代の海外経験が私の人生に大きな影響を与えている。何か新しいことに挑戦したいと思い飛び込んだ、東南アジアに位置するカンボジアでの教育ボランティア。日本以外の小学校を見ることが初めてだった私は、その教育環境より、目を輝かせて学習に取り組む子どもたちの姿に驚かされた。電子機器、実験道具、教科書等が十分に整っていないにもかかわらずだ。ここでの活動を通じ、これまで深く考えていなかった将来の夢が明確なものとなった。より長く、より深く彼らと関わりたいと考え、JICA海外協力隊(以下、隊員)を目指した。
ただ、大学生活の終わりが近づくと将来に対する不安を抱くようになった。私の中にある安定志向や、周囲の期待から地元で教員をする道を選ぶべきなのではないか。そうした考えや、卒業論文から逃げるようにインドへ飛び立った。理由は長年の夢であったガンジス川への沐浴をせずに大学生活を終えることができない、といった単純なものである。
バラナシという街に到着し、定番のラッシーを飲んでいる時のことだ。大きな木の箱を大人4人が担ぎ、狭い路地を駆け抜けていく姿を見た。現地の方に話を聞くと、あの箱は棺で、死体を火葬場に運んでいる途中だったらしい。さらに、火葬場は川の側だから誰でも見に行けると。怖いもの見たさでそこまで行き、火葬の一部始終を目の前で見た。詳細は割愛するが、最後はガンジス川に遺灰を流していた。文化や宗教の違いを感じた瞬間だった。
目的であった沐浴も、それらの理由から入水するべきでないと考え、引き返すつもりでいたが、現地のインド人は「入らずに帰るわけはないよな?」と、笑いながら話しかけてくる。彼らに手を引かれるがまま、これも経験の一つかと、ガンジス川に飛び込んだ。その時に、火葬場でのことや、灰を川に流す姿を見たこと、周りを見るとその川で歯磨きや洗濯をしている人がいたことを思い、この川の偉大さが身に染みた。何かを悟ったりすることは無かったが、彼らの死生観を目の当たりにし、私自身いつかやってくる「死」について考えた。いつ死がやってくるか分からないなら、今やりたいことに目を向けるべきだ。今考えると、将来を悩む私へのガンガーからのお告げだったのかもしれない。これらの経緯で隊員への参加を決めた。

【隊員として派遣されるまで】
こうして決まった隊員としての生活。派遣先は西アフリカのガーナ共和国と連絡が来た。派遣されるのであればどこでもいいと考えていた私は、希望国として提示した大洋州の国々への想いを捨て、アフリカ大陸への上陸に心を躍らせた。しかし、予期せぬ形で派遣は延期となってしまう。新型コロナウイルスの世界的な大流行だ。当時世界各地で活動していた全隊員は日本に緊急帰国、派遣前の隊員は見通しが立つまで延期となった。当時のことやありがたく派遣されたこと、急遽派遣が取りやめになった隊員のことを考え、およそ1年半越しとはなったが無事首都のアクラ国際空港に降り立った瞬間は様々な思いがこみ上げた。

【隊員としての二年間】
ガーナの人たちは仲間意識や家族意識が強く、村で住んでいても横のつながりを常に感じていた。助け合いの精神のような、時におせっかいだと感じるほどの関わり方であったが、私にとってはそれが心地よかったのだろう。幼稚園クラスの担任の先生が連れてきた生まれたばかりの赤ん坊を、そのクラスの子たちが面倒を見ていたことや、乗り合いバスで、当たり前のようにお年寄りに手を差し伸べる優しさ、私が足を捻り、歩けないほどの激痛を感じていた時にすぐさま何十人と集まり、治療(荒療治)をし、自宅まで担いでくれたこと。2年間を振り返ると、助けてもらってばかりの日々だった。活動でうまくいかなくても、「よく頑張ったね。明日はすべてがうまくいくよ。さ、切り替えてフフ(ガーナの伝統料理)を食べましょう。」解決策にはなっていないが、彼らの楽観的な性格が、私にとってはすごくありがたく、すごく恋しい。

そんな彼らと共にした活動を紹介したい。
配属先からの要請内容3つと、その他私が行った活動である。
①任地の小学校2校で理科・ICT の授業実践と提案を行った。
②小学生、中学生それぞれ対象のクイズ大会の企画・運営を行った。
(科目は理科・算数・ICT の3科目)
③小学校の先生対象の教員研修会を実施した。
小学校およそ50校から1名ずつ招待
(理科・算数・図画工作(Creative Arts )の3科目)

・聾学校での手話学習と支援をした。
・学校壁に巨大な世界地図の作成をした。
・地区内およそ30校を巡回し、支援を行った。
・日本とつなぎオンライン講義を行った。
・幼稚園クラスに入り、現地語を学びつつ、教員の支援を行った。
以上が私の2年間の主な活動である。

それぞれの隊員に、活動を共にするカウンターパートが存在する。密接にかかわる同僚のような存在である。私のカウンターパートはサバイナと言って、私の母と同い年のパワフルな人だった。私に対する理不尽な要求や、好ましくない態度を見せる村の人々から常に私を守ってくれていた。お互いを母、息子と呼び合い、時に学校巡回する際は手を繋ぎ歩いた。
私が村から離れた今、1人で学校を巡回する母の姿を見た村の人は「今日は息子と一緒ではないのか。」と話しかけるそうだ。電話でそう教えてくれた。日曜日は母の家でフフを食べるのが定番で、満腹の中2人でお互いの話をするのが大好きだった。私のことはすべて教えたはずなのに、日本との時差のことだけ教えることを忘れていたみたいだ。日本時間の2時に電話をかけるのはどうにかならないだろうか。そんなガーナの母や、職員に支えられた幸せな2年間だった。

【隊員を終えて】
隊員生活もあとわずかのところで、ガーナに私の銅像が建った。Western州Shamaにある。黄熱病の研究に尽力し、その功績を称えられている野口英世と並び、ガーナに銅像が建っている日本人となった。
「アフリカの水を飲んだものは、アフリカに戻る。」派遣前からよく聞いた言葉も、今は納得できる。ガーナでの2年間を通し、私の将来とアフリカを切り離すことができなくなっている。それぐらいかけがえが無く、何よりも幸せを感じる時間であった。今後も長く、あの大陸で私は生活をする道を探していきたい。
誰かにとっての、偉人になれるように。

【詳細】
独立行政法人国際協力機構ホームページ>日本での取り組み>JICA四国>ガーナに銅像を建てた2人目の日本人
https://www.jica.go.jp/domestic/shikoku/story/1533021_36358.html


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えひめグローバルネットワークは、令和5年度外務省NGO相談員事業を受託しています。
http://www.egn.or.jp/ngo/ngo.html

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